III.第2自然科学院の当面の研究課題

 金正日は、1980年代に入り、国防科学研究方向を新たに明白に提示したが、その内容を見れば、今後北朝鮮の戦争戦略を判断することができるだろう。

 第1に、自国の力と技術で中・長距離ロケットを早く研究開発することである。金正日は、当時、「今、中国も、ソ連も、我々が自分で国防力を強化しているのに甘んじていられない。国防科学者は、『ロケット速度』で研究事業に着手し、一刻も早く、党が要求するウリ式ロケットを開発しなければならない」と促した。

 金正日はまた、別の機会に、「我々は、自体の力と技術でロケットを開発できる能力さえ備えればできる。そうすれば、米国の奴らも、我々をどうにもできない」としつつ、第2自然科学院を休ませることなく苛んだ。

 金正日は、1980年代初め、ロケット開発のための最初の課業として、ソ連製「スカッド」ミサイルを模倣設計する課業を与えた。第2自然科学院工学研究所を軸とした国防科学者達は、3回に渡る失敗の末、それに成功した。その時、金正日が余りに急がせたために、研究過程において順序と段階を完全に守ることができず、模倣設計に成功した後にも、ほぼ3年が過ぎて初めて量産に入った。

 ところが、金正日は、自分が言ったことは、考えることもせず、「科学者達が研究事業を行うのを見れば、化粧をする術を知らない処女のように、うわずって研究事業を行っている。処女が化粧を綺麗にしようとすれば、先ず肌に白粉を塗り、その次に口紅を塗り、その上にファンデーションを塗り、分け塗りを行わなければならない。ところが、我が科学者達は、仕事を順序なしに行っている」と批判を行った。その指示を受け、あきれていた科学者達の姿が今も目に浮かぶ。

 「スカッド」ミサイルの模倣設計以後、金正日は、第2自然科学院に、「今は、創作設計を行うときとなった。今、我が国防科学者の水準は、『人民学校』水準のようなもので、中距離ミサイルを創作設計する過程を通して、中等水準に高めなければならない」と指示を行った。その時が1984年10月である。

 北朝鮮では、初めて創作設計する中距離ミサイルを「火星−5」号と呼び、1984年11月から開発に着手し、1989年10月になって初めて試験発射用ミサイルを完成した。このミサイルを韓国を始めとする関連諸国では、「ノドン−1」号と呼んでいる。その試験発射は、1993年5月に進行された。

 北朝鮮の「火星−6」号ミサイルの場合、1987年5月から開発され始めたが、本人が1997年8月に北朝鮮を脱出するときまで、開発できていなかった。

 1994年11月初め、金正日の指示により、第2自然科学院創立30周年記念報告大会行事を行うとき、本人は、大会報告文を作成した。その時、決議部分の重要な事項が正に「火星−6」号を早く開発し、「偉大な将軍様から命令さえ下れば、米国という国を地球上から永遠に掃き捨てるでしょう」というものであり、その内容が高く評価された。

 「火星−6」号は、1998年8月、人工衛星「光明星−1号」という名前に身を隠し、試験発射された。年数を数えれば、ちょうど10年目にして開発されたのである。この「火星−6」号を韓国や、関連諸国では、「テポドン−1」号と呼んでいる。

 北朝鮮のミサイル開発過程を考察してみれば、一連の脆弱性があることを知ることができる。それは、一旦、試験発射に成功しても、到底両断に入ることができない点である。実例として、「火星−5」号は、1989年に開発完成したが、今まで量産に入ることができないでいる。量産を保障する「兵器審査文献」が作られていないためである。

 その原因は、金正日の気まぐれな性格のためである。金正日は、自分が指定した日までに該当武器が開発されなければ、その原因を「党中央に対する科学者達の忠誠と孝誠が不足したためである」という結論を下し、関係一群を厳しく処罰する。このような理由により、常に重圧感に押されている一群と科学者達は、速度にのみ偏る余り、研究文献、実験文献の作成をそのまま行えず、飛ばしている。ところが、試験発射が終わる前に、また新しい武器開発課題が金正日の命令により下される。

 このような悪循環のため、北朝鮮では、武器が開発された後にも、量産を実現しようとすれば、相当な手間をかけなければならない。

 北朝鮮が1993年に試験発射した「火星−5」も、研究過程に審査文献を作成したことがなく、その後、イランとの共同研究過程にイランで完成した。北朝鮮がイランとミサイル共同研究を行った原因の1つが正に国内での研究過程において、そのまま作成できなかった審査文献を再研究過程を通して完成しようとしたのである。

 第2に、砲武器の自走自動化を「死ぬか、生きるか」と急き立て、終えることである。金日成と金正日は、「この課題を遂行できなければ、生きることも、死ぬこともできない」と語り、党中央軍事委員会次元の重大事として砲武器の自走自動化を強力に押し出し、今、この時刻も、金正日は、この課題に最も大きな力を入れているのである。

 別名「112号課題」とも呼ばれる砲武器の自走自動化水準は、今年6月に行われた南北海軍の西海交戦時、北朝鮮軍の艦砲の実態が良く見せている。

 北朝鮮において、砲武器の自走自動化は、1979年から始まった。1979年7月末頃、北朝鮮の平壌では、全国軍需部門熱誠者大会が開かれたが、金日成と金正日は、大会全期間、しかめっ面になり、「112号課題を遂行できなければ、生きることも、死ぬこともできない」と、しきりに訓示を行い、大会以後には、全国の国防科学研究機関に秀才級の研究士200余名を選抜して、新たに「112号研究所」を組織した。

 金日成と金正日は、この課題遂行に投資を惜しまなかった。それから20年後、「112号課題」は、14.5mm2連装高射機関銃と7.5cm高射砲等に過ぎない数種の砲の外に実現しなかったが、それすらも、レーダーの質が悪くて、今まで人民武力部、第2経済委員会、第2自然科学院の責任関係を巡り、論争が起こっている。

 砲武器の自走自動化と関連した笑えない喜劇は、1980年代と1990年代に進行した武力示威行事毎に、第2自然科学院が行事に動員された砲武器に継続して偽レーダーを設置した事実である。

 金日成は、生前、「112号課題」を行えなければ、戦争を行えないと語った。それは、相手側からの空襲から有生力量を保存できないためだという。

 北朝鮮の砲武器が20年が経つ今まで自走自動化されなかったのは、科学者の実力のためではなく、徹頭徹尾北朝鮮の電子工業の実態が落後したためである。

 金正日が正当に評価したように、北朝鮮の電子工業水準は、今、ほとんど人民学校水準である。

 金正日は、1987年4月11日、第2自然科学院の現地指導時、112号武器のレーダーが質が悪く、気流が若干変わっても、目標物を正確に捕捉できず、自動的に発射されると言う人民武力部長呉振宇の報告を受け、北朝鮮の落後した電子工業の実態に対して嘆きつつ、「電子工学を発展させなければ、人民軍を現代化することができない」と促した。

 今、北朝鮮人民軍前縁軍部隊が持っている砲武器の自走自動化水準は、嘆かわしい限りである。砲の門数では、絶対的に韓国を圧倒しても、火力や正確度では、絶対的に劣っているであろう。

 第3に、高性能地雷を早く開発し、軍事分界線と海岸線を完全封鎖することである。金正日は、この課業を提示しつつ、「軍事分界線の地雷原が、今、無防備状態」と、数回反復しつつ、最短時日内に人民武力部において要求する地雷を開発生産し、保障してやるようにと指示した。

 軍事分界線非武装地帯の地雷原が不備だというのは、既に70年代から提起されていた問題である。しかし、当時、南侵攻撃の意思が確固としていた金日成、金正日は、ここに関心を向けていなかった。「南朝鮮を攻撃しようとすれば、どうしても解除しなければならないものなので、無理に埋設するな」という意図だったためだと見られる。ところが、90年代に入り、状況が変わった。慢性的な食糧難と軍需生産の決定的な減退において、攻撃する力を喪失した金正日は、軍事分界線を全面封鎖することに対する指示を下し、このための高性能地雷開発を早く完成するようにと、第2自然科学院に命令した。

 上記の課業を分析してみれば、ミサイルは、対外恐喝手段として使われるのは明らかであり、砲武器の自走自動化は、実際的な戦争用意であり、地雷開発は、徹頭徹尾相手側の先制攻撃に対処するための防御障壁である。これは、今日、北朝鮮が強行している全ての成り行きを分析してみても明白である。

 第2自然科学院は、今、この新しい種類の課業を何よりも軽視せずに、最善を尽くしていこうとしている。

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最終更新日:2003/10/04

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